川越藩
川越藩
 
後北条支配の河越城は、天正十八年(1590)豊臣秀吉(とよとみひでよし)の関東征伐に際し 前田利家(まえだとしいえ)に攻められ城をひらいた。北条氏が滅びた後、秀吉から関東の地をあたえられた徳川家康が江戸城に配置されると城主に「酒井重忠」を迎えた。この人物は、家康と同じ三河国の生まれで関ヶ原の戦いをはじめ 数々の戦で家康に仕えて活躍をしていた。
慶長五年(1600)家康が関ヶ原の戦いで勝利を収め、慶長八年(1603)江戸幕府を開くと酒井家の後は堀田家、柳沢家、松平家など 親藩や譜代の有力な大名が配置され、八家二十一人のうち老中を六人出している。このことからも徳川幕府は、江戸との距離の近さをふまえ、豊富な物資の供給源・政治・経済・北からの攻撃に備える最後の砦として 軍事面でも川越藩を重要視していたと考えられる。
 
 
川越藩毛槍奉行所用陣笠
(かわごえはん けやりぶぎょうしょよう じんがさ)江戸時代

参勤交代や行列の際に使用された陣笠は、武家の威厳(いげん)とおもむきを感じさせる。


・馬上提灯・武家用火鉢・川越藩士所用の資料・その他
 
 
川越藩の捕物具
(かわごえはん とりものぐ)

川越藩の治安維持は寺社奉行をはじめ、町方には町奉行を置き 村方は郡奉行の支配下で統率を取っていたと思われる。現在の志多町付近に代官町があり 大手町と幸町との境に同心町が置かれ、それぞれ十数軒の屋敷が藩から与えられていた。また、村方役人として藩に仕えていた屋敷に 江戸時代前期の打払い長十手などが残されおり、その特徴ある形から当時の時代背景をしのばせている。
 
十手
(じゅって)

十手は捕方(司法関係)に携わる役人が所持する武器である。と同時に「十手持ち」という言葉がある通り、現在の警察手帳のような役割をしたもので身分階級により特徴がある。そもそも十手が武器として日本に出現した発祥と伝来は、中国の古武器に端あると云われている。江戸時代の役人を知る貴重なものである。
 
川越藩同心十手と呼子笛
(かわごえはんどうしんじゅって と よびこぶえ)江戸時代


十手   全長37センチ
呼子笛 全長 6センチ



・代官十手・与力方十手・同心戦闘用十手・下賜同心十手
・目明し十手・なえし十手・打払い十手・棒十手・呼子笛
・捕り縄・手ぐさり・手足錠・刑法書・その他
 
 
関八州取締出役
(かんはっしゅうとりしまりしゅつやく)

川越藩も当時 警護下に置かれた関八州取締出役は、文化二年(1805)に勘定奉行公事方の命により 特別な働きの出来た役人である。江戸を囲む八州(関東八か国)の村々を巡回警護し 御料・私領・寺社領にかかわらず踏み込んで召し捕ることが許されていた。当時は「八州様」とも呼ばれ大変恐れられた役人であり 幕末の世まで存在した。

関八州御触頭所用背負文書箱
(かんはっしゅう おふれがしらしょよう せおいぶんしょばこ)江戸時代
縦78センチ・横48センチ・奥行36センチ

文書箱の裏側には、背負うための2本の丈夫なひもがある。観音開きの扉には鍵がつき、中には5段の引き出しが作られ鍵が伴うものもある。

関八州(関東八カ国)之図 関八州(関東八か国)の国々
武蔵国(むさし) 江戸・岩槻・川越・大宮・行田・飯能・秩父・熊谷・所沢・八王子・青梅・拝島・府中
相模国(さがみ) 戸塚・鎌倉・小田原・厚木
上野国(こうづけ) 館林・高崎・前橋・安中・沼田
下野国(しもつけ) 宇都宮・手生・鹿沼・太田原・黒羽・烏山
常陸国(ひたち) 土浦・笠間・下館・水戸
下総国(しもうさ) 結城・古河・銚子・佐倉・成田
上総国(かずさ) 佐貫・大滝
安房国(あわ) 館山・勝山


・関八州取締出役十手・関八州取締出役下賜十手
・十手鉄砲・その他
 
 
郷土の刀工
(きょうどのとうこう)

後北条氏による室町時代後期には、城下に職人を住まわせたと伝えられている。川越の城下町に、町名として あとあとまで残る鍛治町は、天文の頃(1532〜1558)に相模国からやってきた平井氏と その弟子たちが住みつき十二軒の鍛冶屋が店を並べていた事にあると云われ、当時は戦の道具を作ることが鍛冶の主な仕事であったと考えられる。江戸時代に入ると十二軒のうち四軒が刀や槍をうつ鍛冶屋で 他の八軒は包丁から鍬(くわ)や鎌(かま)などの農具を作っていたようである。川越の刀師は、江戸時代初期の則重(のりしげ)や中期の吉英(よしてる)が知られているが、作刀例も少なく経歴なども不明な点が多い。江戸時代末期になると藤枝(ふじえだ)一門が、川越藩のお抱え刀師として幕末の世まで仕えた。常設展示としていろいろな作刀を紹介していく予定です。
 
 
 
参勤交代
 
参勤交代の際は、そこに江戸と川越をつなぐ 江戸からいえば川越街道、川越からいえば江戸街道が重要な役割をはたした。川越から江戸の屋敷までの距離は十一里(約44Km)であり、夜12時(子の刻)に川越城を出発し 最初の街道沿いの宿場である大井宿(ふじみ野市大井)新井本陣でまずは小休止をし、大和田宿(新座市大和田)・膝折宿(朝霞市膝折町)・白子宿(和光市白子)の四宿をへて 板橋宿(東京都板橋)において中山道につらなり、翌日の夕方までには到着したといわれている。また、農民の負担として宿場に馬や人手を出す助郷役(すけごうやく)があり 川越藩主が参勤交代で江戸へ立つときには、人足350人・馬32頭が大井宿に割り当てられた。
 
 
鋏箱
(はさみばこ)江戸時代
縦36センチ・横45センチ・奥行32センチ

着替えの衣服などを入れ、棒を通して従者にかつがせた箱。


・大井宿新井本陣旧蔵葵紋付五段重箱
・葵紋付文箱・金銅盃・その他
 
 
 
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